カートレインは、自家用車とその運転者が同じ列車で長距離を移動できるサービスである。国鉄が開始し、後にJRグループが引き継いだこのサービスは、長時間の運転による疲労を避けつつ、目的地到着後すぐにマイカーで行動できる利便性から、一時代を築いた。
その代表格が、1985年7月27日に運行を開始した汐留駅(東京)と東小倉駅(福岡)を結ぶ「カートレイン九州」である。この列車は、乗用車を積載する貨車(主にワキ10000形を改造したもの)と、乗客が宿泊するB寝台車(20系客車)で編成されていた。
利用者は夕方に汐留駅で車を預け、自身は寝台車で一夜を過ごす。翌日の午後には東小倉駅に到着し、マイカーを受け取って九州での観光やビジネスにすぐ向かうことができた。東京から約1,100kmの道のりを運転することなく移動できるため、特にレジャー客や帰省客から絶大な支持を集めた。
カートレインは汐留発着以外にも展開された。首都圏から北海道を目指す「カートレイン北海道」は、1988年の青函トンネル開通に合わせて、恵比寿駅(1991年以降は浜松町駅)と白石駅(車両積載)および札幌駅(旅客扱い)を結ぶ形で運行を開始し、夏の観光シーズンに一定の需要を集めた。これは青函トンネルの開通を受けて実現したサービスであった。
また、中京圏の需要に応えるため、1986年から熱田駅と東小倉駅を結ぶ「カートレイン名古屋」も運行された。さらに、欧風客車「ユーロライナー」を使用したカートレイン名古屋の特別編成なども登場し、多様なニーズに対応していた。
しかし時代が進むにつれ、自動車の大型化によって専用貨車に積載できる車種が限られるようになり、輸送対象が狭まっていった。また、現地で車を用意できるレンタカーの普及や、高速道路網の整備によって「自家用車で直接目的地へ」という移動スタイルが広がったこと、さらにフェリーなど他の輸送手段との競合も重なり、カートレインは割高な選択肢となっていった。こうした背景から利用者は減少を続け、最終的にカートレインは廃止に至った。
自動車だけでなく、オートバイを輸送する列車も存在した。それが「MOTOトレイン」である。ライダーは寝台車で移動し、バイクは専用の貨車で運ばれた。長距離ツーリングの体力的負担を大幅に軽減できるため、特に北海道を目指すライダーから大きな支持を得た。1986年から上野駅と函館駅を結ぶ系統で運行を開始し、青函トンネル開通後に大阪駅と函館駅の系統も加わった。これらもカートレインと同様の理由で1998年3月のダイヤ改正で廃止された。
カートレインやMOTOトレインは、鉄道が提供したユニークな複合輸送サービスであった。高速道路網の発達や他の交通手段との競合による需要減少、そして車両の老朽化によって姿を消したが、長距離移動の負担を劇的に軽減するそのコンセプトは画期的であり、今なお復活を望む声が聞かれるほど、多くの人々の記憶に残る存在である。





