横浜駅 内海川跨線人道橋

内海川跨線人道橋は、かつて横浜駅の北側に存在した歴史的な跨線橋である。

1930年(昭和5年)に竣工といわれ、構造には古いレールが再利用されていた。当時の鉄道インフラを支えた資材が用いられており、技術の名残を今に伝えるものであった。

この橋は、神奈川区鶴屋町と西区北幸を結ぶ生活動線として長年利用された。竣工当初は木製の床板で、その上を歩く独特の音や、板の隙間から垣間見える列車の光景は、横浜駅周辺の原風景として多くの人々の記憶に刻まれている。その後、安全性の向上などを目的に改修が行われ、床が舗装された仕様となっていたが、眼下を行き交う列車群の眺めは変わることなく親しまれた。

文化的な側面でも、この橋は存在感を放っている。近代洋画家・松本俊介が1940年代に描いた連作「Y市の橋」では、月見橋を主題としながらも、背景に横浜駅北側の跨線橋を想起させる構造物が描かれており、この橋をモデルとした可能性が指摘されてきた。2025年には、松本氏の次男がSNS上で「父は横浜駅近くの線路をまたぐ跨線橋をアレンジした」と証言しており、この解釈を裏付ける新たな手がかりとなっている。

また、映画やテレビドラマなどの映像作品にもたびたび登場し、横浜駅周辺を象徴する風景として多くの人々に記憶されている。

しかし、長年の使用による老朽化と、横浜駅きた西口鶴屋地区の再開発事業に伴い、2010年代初頭に閉鎖された。その後もしばらく残されていたが、2018年頃から段階的に解体が進み、2020年代前半までに完全に撤去された。物理的な姿は失われたものの、芸術作品や映像、そして人々の記憶の中で、横浜の歴史を物語り続けている。

内海川跨線人道橋 光景写真
内海川跨線人道橋 光景写真
内海川跨線人道橋 光景写真
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