三輪山 – 大神神社 / 日本最古の神社

大神神社(おおみわじんじゃ)は奈良県桜井市に鎮座する、日本最古級の神社の一つである。主祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)であり、社殿の背後にそびえる三輪山そのものを御神体とする。そのため本殿はなく、拝殿から山を直接拝するという、自然崇拝を起源とする古代祭祀の形態を今に伝えている。

その創祀は、『古事記』『日本書紀』(記紀)において、第10代崇神天皇の御代に創祀されたと記されている。一方、考古学的には、それ以前から三輪山周辺で祭祀活動が行われていた痕跡が確認されている。当時、国中に疫病が蔓延し民が苦しんでいたところ、崇神天皇の夢に大物主大神が現れ、自らの子孫である意富多々泥古(おおたたねこ)に祭祀をさせれば国は平穏になると告げた。天皇が神託に従うと疫病は鎮まり、国家は安泰となった。この伝承は、三輪山の神を国家の守護神として正式に祀ることが、初期ヤマト王権の支配体制を確立する上で極めて重要な画期であったことを示唆している。

また、祭神である大物主大神は、出雲大社の祭神・大国主神の和魂(にぎみたま)であるとされ、出雲の神と大和の神の深い関係性を物語る。これは、ヤマト王権の成立過程において、出雲の勢力や信仰が大きな影響力を持っていたことを物語っている。

さらに大神神社が位置する三輪山麓一帯は、3世紀の巨大集落遺跡である纏向遺跡が広がる地であり、邪馬台国の有力候補地の一つとされている。この地には、纏向石塚古墳や箸墓古墳など、当時の権力者の墓と考えられる古墳が集中する。特に箸墓古墳については、年代測定などから女王・卑弥呼の墓とする説もあり、その被葬者とされる倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は、記紀において大物主大神の妻となった巫女として描かれ、その姿は卑弥呼と重なるという指摘もある。ただし、邪馬台国の所在地については畿内説と九州説があり、学術的には今なお議論が続いている。三輪山の神を祀る祭祀集団が邪馬台国の中核をなし、後のヤマト王権へと発展していったとする見方は有力な仮説の一つであるが、確定した歴史的事実とまでは言えない。

これらの伝承と考古学的事実が交錯する地に位置する大神神社は、古代信仰の原点であるだけでなく、邪馬台国からヤマト王権へと至る日本の国家形成の謎を解き明かす上で、極めて重要な位置を占める存在である。

大神神社 光景写真
大神神社 光景写真
大神神社 光景写真

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