看板建築とは、主に関東大震災後の1920年代後半から昭和初期にかけて、東京の下町を中心に流行した商店建築の様式である。その最大の特徴は、建物の正面(ファサード)に、まるで看板のように平面的で装飾的な壁を取り付けた点にある。木造の町家などの構造を隠すように、前面に銅板やモルタル、タイルなどで洋風のデザインを施した姿から「看板建築」と呼ばれるようになった。
この建築様式が生まれた背景には、関東大震災からの復興がある。壊滅的な被害を受けた東京で、商人たちは一日も早い営業再開を目指した。そこで、まずは簡易な建物を建て、追ってその正面に、安価かつ迅速に施工でき、なおかつ人々の目を引くモダンな外観の「お面」を取り付ける手法が広まったのである。震災の教訓から、不燃材である銅板やモルタルを前面に張ることで、防火性を高めるという実用的な目的も兼ね備えていた。
看板建築のデザインは、当時の職人たちが限られた情報の中で西洋建築を模倣し、創意工夫を凝らした結果、非常に自由で独創的なものが多い。アール・デコやセセッションの影響を受けた幾何学的な装飾、凝ったレリーフ、屋号をデザイン化した看板文字など、一つとして同じものはないと言えるほど多様性に富んでいる。特に銅板張りの看板建築は、当初の輝きが経年変化によって緑青の深い色合いとなり、独特の風格を醸し出している。
この様式は、東京から全国の地方都市へも広まっていった。しかし、戦災やその後の都市開発、建物の老朽化によって、その数は年々減少しており、今日では貴重な存在となっている。
看板建築は、西洋建築を正確に再現したものではなく、日本の職人たちのフィルターを通して表現された、いわば「和製洋風建築」である。その画一的でないデザインの一つひとつには、施主の心意気や職人の遊び心が垣間見える。各地に残る個性豊かな「お面」を観察して、その背景にある人々の暮らしや時代の空気に思いを馳せることは、街歩きの大きな楽しみ方の一つと言えるだろう。看板建築は、日本の都市が近代化へと向かう復興期に、庶民が生み出したたくましくもユニークな建築文化の証なのである。

