箸墓古墳 / 最古級 巨大前方後円墳

箸墓古墳は、奈良県桜井市の纏向遺跡内に位置する、日本最古級の巨大前方後円墳である。全長約280メートル、後円部径約160メートル、高さ約30メートルを誇り、その出現は古墳時代の幕開けを告げる画期的な出来事と見なされる。墳丘は後円部4段築成で頂部に円形壇を持ち、前方部は3~4段築成と推定される。墳丘には葺石が施され、後円部頂と前方部頂周辺には特殊器台や特殊壺、二重口縁壺形埴輪などの埴輪類が配置されていた。墳丘の周囲には幅約10メートルの周濠が巡り、その外側には最大幅約100メートルに及ぶ外濠状遺構が広がっている。

宮内庁は、この古墳を「大市墓(おおいちのはか)」として、第7代孝霊天皇の皇女であり、第10代崇神天皇の大叔母にあたる倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の陵墓と治定している。このため、陵墓としての静安と尊厳を保つ観点から、内部の本格的な発掘調査は行われていない。

近年の研究では、出土した土器の年代などから、箸墓古墳の築造は古墳時代前期初頭、3世紀中頃から後半にかけてと推定されている。この時期は、中国の歴史書『魏志』倭人伝に記された邪馬台国の女王・卑弥呼が死去したとされる248年頃と重なる。このことから、箸墓古墳こそが卑弥呼の墓であるという説が有力視され、長年にわたり学術的な論争が続いている。もしこの説が証明されれば、邪馬台国が畿内に存在し、後のヤマト王権へと発展したとする「邪馬台国畿内説」を決定づけるものとなる。また、卑弥呼の後継者である宗女・台与(壱与)の墓とする見方もある。

箸墓古墳の出現は、日本の古墳文化における大きな転換点である。前方部が三味線の撥(ばち)のように開く特徴的な形状を持ち、後の定型的な前方後円墳の祖形の一つとなった。墳丘からは、葬送儀礼に用いられたとされる特殊器台や特殊壺が出土しており、これらは埴輪の起源と考えられている。その圧倒的な規模と整った墳形は、当時この地に強大な権力を持つ政治勢力が誕生したことを示唆しており、ヤマト王権の成立過程を解き明かす上で極めて重要な遺跡である。

被葬者が誰であるかは、日本古代史最大の謎の一つであり、いまだ解明されていない。陵墓であるため調査には制約があるが、2020年には橿原考古学研究所と名古屋大学の研究チームによって宇宙素粒子「ミューオン」を利用した内部透視調査が実施された。ただし、その詳細な結果は2025年9月現在も公表されていない。非破壊的な科学技術によるこうした試みには大きな期待が寄せられており、今後の研究動向が注目されている。

復元図
箸墓古墳 光景写真
箸墓古墳から見える三輪山の光景写真
箸墓古墳から見える三輪山

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