古事記 日本書紀 01 「日本のはじまり – 造化の三神」

日本の神話[日本最古の記録]は、まだ空も大地も形を持たない、ドロドロとした混沌の世界から始まる。
水と油が混ざりきらずに漂うような世界の中で、軽く澄んだものが上に昇って「天」となり、重く濁ったものが下に沈んで「地」となった。これが天地開闢(てんちかいびゃく)と呼ばれる最初の出来事である。

このとき、天の高みに最初に姿を現した三柱の神々が「造化の三神」である。
『古事記』では、この三柱を含む最初の五柱の神々を「別天神(ことあまつかみ)」と呼び、特別な存在として描いている。
※「柱」は神を数えるときの単位

最初に現れたのは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。続いて高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、三番目に神産巣日神(かみむすひのかみ)が現れる。
これらの神々には男女の区別がなく、一柱で生まれてすぐに姿を隠した独神(ひとりがみ)とされる。
これは、どこかに消えたのではなく、姿形を持たないまま世界に満ちる「目に見えない働き」として理解されてきた。

特に名前に共通する「ムスヒ(産巣日)」という語が重要である。
これは「生み出す」「むすぶ」といった力を表し、生命や万物が成り立つための根源的な力のことを指す。私たちが使う「息子(むすこ)」や「娘(むすめ)」という言葉ともつながっており、古い時代から「生まれること」と深く結びついてきた。

『古事記』では、この三柱の神々が世界の始まりを象徴する存在として強調されている。
高御産巣日神は後に天照大御神(あまてらすおおみかみ)とともに天の世界を導き、神産巣日神は出雲の神々(大国主神など)と関わり、地上世界を支える存在として描かれる。物語の主役のように動くわけではないが、世界の根本にある大きな力として位置づけられている。

一方、『日本書紀』では少し扱いが異なる。
中国の古い歴史書の形式に倣い、体系的な説明を重視して編まれたため、天地が分かれた後に最初に登場する神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)とされている。造化の三神については、異なる伝え(異伝)として紹介されるにとどまっている。これは、物語性を重視した『古事記』と、国家としての体裁を意識した『日本書紀』の違いによるものと考えられている。

造化の三神は、人のように行動したり感情を見せたりする神ではない。
世界そのものが形づくられ、生き物や自然が育っていくための「根本の力」が神として表現された存在である。言い換えれば、私たちが暮らすこの世界の背景に流れる見えない力こそが、造化の三神の姿だといえる。

▼ 長野県松本市にある四柱神社(造化の三神と天之御中主神の四柱を祀る神社)

四柱神社 光景写真
四柱神社 光景写真

>> 【Googleフォト】 四柱神社

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