横浜港 マリーンシャトル

横浜港観光船「マリーンシャトル」は、1985年(昭和60年)から2021年(令和3年)7月までの35年余りにわたり横浜港を航行した、港を象徴する観光船であった。その航跡は横浜のウォーターフロント開発の歴史と重なり、横浜港の発展に多大な貢献を果たした。

マリーンシャトルが就航した1985年は、みなとみらい21地区の開発が本格化する直前の時期であった。白い船体が印象的なその優美な船は、港内を航行する観光船として、乗客が快適に食事や景色を楽しめるよう、安定した航行性能を備えていた。それまでの遊覧船とは一線を画すレストラン機能を備えたクルーズは、多くの人々を魅了した。

マリーンシャトルは、横浜港の「生き証人」でもあった。就航当初はまだ空き地が目立っていたみなとみらい地区に、横浜ランドマークタワーや大観覧車が建設され、街並みが完成していく様子を、そのデッキから乗客と共に日々見つめ続けた。特に1989年に開通した横浜ベイブリッジの建設中から完成後まで、その雄大な姿を間近に見上げる航路は、多くの乗客に感動を与え、マリーンシャトルを代表する体験となった。修学旅行で初めて船に乗った子供たち、バブル期に流行したデートで訪れたカップル、結婚記念日を祝う家族など、あらゆる世代の人々の特別な瞬間に寄り添い、その記憶に深く刻まれている。

その最大の功績は、「海上から横浜の魅力を再発見する」という新しい観光文化を確立し、定着させたことである。単に景色を眺めるだけでなく、食事を楽しみながら港を巡るという付加価値の高い体験は、横浜観光の幅を大きく広げた。また、工業地帯を巡るコースも設定され、貿易港としての横浜の顔にも光を当て、港湾への市民の関心を高める役割も果たした。

船体の老朽化とコロナ禍という時代の波を受け、惜しまれつつもその役目を終えたが、マリーンシャトルが横浜港に残した功績は計り知れない。35年余りにわたり横浜の発展を見守り、無数の人々の思い出を乗せて航行したその優美な姿は、横浜港の歴史の一ページとして永遠に刻まれ続ける。

山下公園のりば
案内版 写真
現役時代の案内板
マリーンシャトル 航行光景

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