千葉県房総半島の南部に位置する鋸山(のこぎりやま)は、標高329.4メートルの山である。山の稜線が鋸の刃のように鋭く見えることからその名が付けられた。東京湾を挟んだ対岸の三浦半島からもその特徴的な山容を望むことができ、古くから航海の目印として親しまれてきた。
この山の険しく切り立った岩肌は、自然の造形だけでなく、人間の営みの歴史を物語る。江戸時代から昭和後期にかけて、鋸山は良質な凝灰岩である「房州石」、特に「金谷石」の産地として栄えた。ここで切り出された石材は、麓の金谷港から船で江戸や横浜などへ運ばれ、特に横浜では港の建設や居留地の建築資材など、近代化を支える重要な素材として広く利用された。現在は採石を終了しているが、石切場跡が作り出した垂直の断崖は、鋸山ならではの独特で雄大な景観を生み出している。
山全体は奈良時代の725年、聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝えられる古刹・乾坤山日本寺(けんこんざん にほんじ)の境内となっている。その見所は多岐にわたる。最も有名なのが、石切場跡の岩盤から突き出す展望台「地獄のぞき」である。足がすくむような高さから房総丘陵と東京湾を一望できる絶景は、訪れる者を圧倒する。また、垂直な岩壁には、1966年(昭和41年)、戦没者や交通犠牲者の慰霊を願って彫られた高さ約30メートルの『百尺観音』が鎮座する。
さらに、境内には総高31.05メートルの石造大仏「薬師瑠璃光如来」(通称・日本寺大仏)があり、石造坐像として日本最大の規模を誇る。1783年(天明3年)に建立されたが、風化で損傷し、1969年(昭和44年)に修復・再建された。また参道には、江戸中期に名工・大野甚五左衛門らによって彫られたと伝わる千五百羅漢の石仏群が並び、一つとして同じ表情のない羅漢像が静寂な空間を作り出している。
鋸山は、麓からロープウェーで手軽に山頂付近までアクセスできるほか、複数の登山道も整備されている。自然美と歴史、そして信仰が交錯する鋸山は、訪れる人にかけがえのない体験を与えてくれる。
