旧? 東武浅草駅 駅舎

東京の玄関口の一つとして、今や創建当時の壮麗なネオ・ルネッサンス様式の姿を取り戻した東武浅草駅。しかし、2012年のリニューアルまでのおよそ40年間、この駅舎はメタリックな輝きを放つアルミルーバーで覆われた、まったく異なる表情を持っていた。

この「アルミルーバー時代」の駅舎は、戦後の高度経済成長期から平成に至るまでの日本の都市景観の変化を象徴する存在である。

1931年(昭和6年)、「浅草雷門駅」として開業した当初の駅ビルは、建築家・久野節が設計を手がけた、ネオ・ルネサンス様式を基本としつつアール・デコ装飾も取り入れた壮麗な建築物であった。白亜のテラコッタタイルで装飾された外壁、優雅なアーチ窓、そしてシンボルの大時計を備え、関東初の百貨店(松屋浅草)併設型ターミナルビルとして、近代都市・東京のモダンさを象徴していた。

しかし、開業から40年以上が経過し、建物の老朽化が課題となった。特に、外壁のテラコッタタイルは劣化による剥落のリスクを抱えていた。その対策と、建物のイメージを一新する近代化を目的として、1974年(昭和49年)に大規模な改修工事が実施される。この時、創建以来の外壁を覆い隠すように、アルミニウム製のルーバー(羽板)が全面的に取り付けられた。

この改修により、駅舎はクラシカルな装飾から一変し、垂直のラインが強調されたシャープで無機質な外観へと生まれ変わった。当時の建築界の流行を反映したこの姿は、多くの人々にとって「東武浅草駅」の最も馴染み深い記憶として刻まれた。レトロな雰囲気の残る浅草の街並みの中で、ひときわ近代的な存在感を放つこの駅舎は、まさに昭和から平成にかけての日本の発展と都市の変化を体現していた。

このアルミルーバーの時代は、2012年(平成24年)の東京スカイツリー開業に合わせて終わりを告げた。東武グループの新たなシンボルタワーの開業を機に、その玄関口である浅草駅ビルも、歴史的価値を再評価し、創建当時の姿に復元するプロジェクトが始動したのである。

約1年以上にわたる工事でアルミルーバーはすべて撤去され、その下から現れた創建時の躯体に耐震補強を施した上で、失われたテラコッタタイルや装飾が忠実に再現された。かつて時を刻んだ大時計も復活し、80年の時を経て、駅ビルは再び開業当初の輝きを取り戻した。

アルミルーバーで覆われていた時代は、いわば建物の「延命」と「近代化」という時代の要請に応えた姿であった。その姿を経て、歴史的遺産としての価値が見直され、復元された現在の東武浅草駅。その変遷は、建築物が持つ時代の記憶と、文化を未来へ継承していくことの意義を静かに示している。

nk
nk

個人的に気になったものを写真と共にご紹介しています。
乗り物、建物、街の光景、歴史、山容、など

記事本文: 12