横浜船渠のドック

横浜船渠は、日本の近代化を牽引した実業家・渋沢栄一らが発起人となり、明治24年(1891年)に設立された。横浜港の発展と日本の海運・造船業の振興を目的とし、後に三菱重工業横浜造船所へと発展した。その中核施設が、現在も、横浜みなとみらい地区にその姿を残す2つの歴史的なドライドックである。

これらのドックは、英国人技師ヘンリー・スペンサー・パーマーが提案した港湾整備案を含む当時の近代化構想の流れの中で、恒川柳作ら日本人技術者によって設計・建造された。パーマーは、日本初の近代水道を横浜に完成させた人物としても知られ、その卓越した土木技術は、日本の近代インフラ整備に多大な貢献を果たした。

明治29年(1896年)に完成した2号ドックは、民営の商船用石造ドライドックとして現存するものでは日本最古であり、極めて高い歴史的価値を持つ。その構造は、神奈川県真鶴産の本小松石を中心に、伊豆半島など周辺地域で産出された硬質な安山岩(新小松石など)も用いられ、熟練の職人が一つ一つの石を丁寧に加工し、精緻に積み上げた伝統的な工法により構築されている。

建設当時、この2号ドックは全長約107メートル、幅約26メートルという規模を誇り、当時の日本では最大級のドライドックであった。ドック底部には排水設備が巧みに組み込まれ、潮の干満を利用した効率的な入渠・出渠システムが構築されている。

明治から大正、昭和にかけて、この2号ドックでは貨物船から客船まで多種多様な船舶の建造と修理が行われ、日本の海運業発展の礎となった。

この2号ドックは、その役目を終えた現在、商業施設「横浜ランドマークタワー」に隣接するイベントスペース「ドックヤードガーデン」として再生され、国の重要文化財に指定されている。

横浜船渠 2号ドック 光景写真
横浜船渠 2号ドック 光景写真

2号ドックに続き、明治31年(1898年)には1号ドックが完成した。こちらも日本の造船業を長きにわたり支えてきた重要な施設である。1号ドックは2号ドックよりも大規模で、全長約168メートル、幅約39メートルの堅固な石造構造を持つ。建設には2号ドック同様、真鶴産の本小松石を中心に、伊豆半島など周辺地域で採れた安山岩(新小松石など)も使用されており、その姿は、優れた石工技術によって築かれたものであり、明治期の土木技術水準の高さを物語っている。

戦前から戦後にかけて、軍艦の建造・修理から商船の整備まで幅広く活用され、特に戦時中は重要な軍事施設としても機能した。

1985年に帆船日本丸の永久係留地として選定されて以降は、海事教育の拠点として新たな使命を担い、年間多数の見学者が訪れる横浜港のシンボル的存在となっている。現在は、帆船「日本丸」を保存・展示する「日本丸メモリアルパーク」の一部として活用され、横浜港の歴史を今に伝える。

横浜船渠 1号ドック 光景写真
横浜船渠 1号ドック 光景写真

これらの堅牢なドックでは数多くの船舶が建造・修理されたが、その代表例が昭和5年(1930年)に竣工した貨客船「氷川丸」である。戦前から北太平洋を往来し、現在は山下公園に係留され国の重要文化財に指定されている日本郵船の氷川丸は、この横浜船渠で建造された。

横浜船渠の1号・2号ドックは、単なる造船設備ではなく、明治期日本の国力向上と国際化への情熱を体現する産業遺産である。設計から建造、そして現代における活用に至るまで、日本の近代化の歩みそのものを物語っている。歴史的役割を終えた後も、横浜を代表する名所として多くの人々に親しまれ、港町・横浜の景観を形成する上で欠かせない存在であり続けている。

nk
nk

個人的に気になったものを写真と共にご紹介しています。
乗り物、建物、街の光景、歴史、山容、など

記事本文: 36